渤海の海上交通 「歴史・満州・アジア」
唐、新羅、日本への通交に利用されていた。
唐への交通は『新唐書』地理志に登州より渤海への交通路が記録されており、登州を起点に亀-島を経て烏湖海を渡り、更に烏骨江を遡上し西京府に至る「朝貢道」と称される道程が示されている。
新羅への海上交通であるが、南海府の吐号浦から朝鮮半島の東沿岸を南下するルートと、西京府から鴨緑江に沿って海上に進み、更に朝鮮半島西沿岸南下するというルートが存在していた。
しかし王都から距離のある西ルートは東ルートほど活発に利用されることはなかったようである。
日本への海上交通は「日本道」とよばれるものである。起点は上京府を基点とし陸路塩州に至りそこから海上を進むというものである。
海路は大まかに3ルートに分類することが出来る。
その一つが「筑紫路」であり、塩州を出発した船は朝鮮半島東沿岸を南下し、対馬海峡を経て筑紫の大津浦に至るルートである。
唐への交通は『新唐書』地理志に登州より渤海への交通路が記録されており、登州を起点に亀-島を経て烏湖海を渡り、更に烏骨江を遡上し西京府に至る「朝貢道」と称される道程が示されている。
新羅への海上交通であるが、南海府の吐号浦から朝鮮半島の東沿岸を南下するルートと、西京府から鴨緑江に沿って海上に進み、更に朝鮮半島西沿岸南下するというルートが存在していた。
しかし王都から距離のある西ルートは東ルートほど活発に利用されることはなかったようである。
日本への海上交通は「日本道」とよばれるものである。起点は上京府を基点とし陸路塩州に至りそこから海上を進むというものである。
海路は大まかに3ルートに分類することが出来る。
その一つが「筑紫路」であり、塩州を出発した船は朝鮮半島東沿岸を南下し、対馬海峡を経て筑紫の大津浦に至るルートである。
update:2010年03月09日
